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東京地方裁判所 平成9年(ワ)23646号 判決

原告

新美千鶴

右訴訟代理人弁護士

安藤憲一

右同

郷原友和

被告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

新井章

右同

加藤文也

主文

一  被告は、原告に対し、四〇万八二四四円及びこれに対する平成八年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

一  請求

被告は、原告に対し、六九万一七六七円及びこれに対する平成八年一一月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  事案の概要

1  被告は、産婦人科を専門とする医師であり、表記住所地において「甲野医院」という名称の医院を営む者である。

原告は、新宿区が費用を負担する癌検診を受けるために、平成八年一〇月一日、同月二二日及び同年一一月二六日の三回甲野医院を訪れた者である。

当初予定されていた癌検診だけであれば、原告の費用負担はゼロであるが、原告は、被告に対し、診療報酬として、平成八年一〇月一日九〇五〇円、同月二二日四二〇円、同年一一月二六日三五〇〇円総計一万二九七〇円を支払った(以上の事実は争いがない)。

2  本件は、被告が原告に対してした診療報酬請求のうち、次に掲げるもの(点数にして九四二点、金額は一点一〇円につき九四二〇円、このうち原告の自己負担分は三割に相当する二八二六円)を除くその余の請求(右自己負担分を超える一万〇一四四円)は不正なそれであるとして、原告が、被告に対し、不法行為に基づき、損害(右不正請求分一万〇一四四円、慰藉料五〇万円及び弁護士費用一八万一六二三円)の賠償を求めたものである。

平成八年一〇月一日処方分 点数(点)

①  CA一二五精密測定 三二〇

②  B―V(静脈採血) 一二

③  超音波断層撮影法 五〇〇

④  生化学的検査(2)判断料 一一〇

合計 九四二

3  被告の主張

(一)  被告が原告に対してした診療報酬請求の内容は、次のとおりである。

(1) 平成八年一〇月一日処方分

点数(点)

子宮癌及び乳癌の検診を実施、大腸癌の検診については採便のための容器を交付

① 抹消血液一般検査 六五

抹消血液像

② 生化学検査 一七〇

総蛋白、ZTT、GOT、GPT、ALP、鉄

③ CA一九―九精密測定

CA一二五 精密測定

右二項目合計 四五〇

以上に伴う血液学的検査判断料

一一〇

生化学的検査(1)判断料 一一〇

生化学的検査(2)判断料 一一〇

B―V(静脈採血) 一二

④ 超音波断層撮影法 五〇〇

⑤ 膣洗浄 四二

⑥ 処方調剤、薬剤情報 三六

⑦ 薬剤等 一一六一

⑧ 初診料 二五〇

以上合計三〇一六

右のような処方をしたのは、子宮癌検診の内診の際に卵巣腫瘤を認めたためである(乙二)。原告は、患者の同意が検査を行うための有効要件であるかのごとき主張をするが、医師は、自己の判断に基づき、必要を認める処置を採ることができるのである。

(2) 平成八年一〇月一一日処方分

時間外電話再診一回 七〇+六五=一三五

同日、原告から時間外(昼休み)に電話で検査結果の問い合わせがあった。被告は、原告に対し、卵巣腫瘤の血液検査の結果を告知し、詳しく説明するので、来院するよう話した。

(3) 平成八年一〇月二二日処方分

大腸癌の検体の提出を受ける

内科再診一回 七〇+四二=一一二

以上合計二四七

同日、被告は、原告に対し、血液検査の結果について腫瘍マーカーを含めて説明した。

腫瘍マーカーの数値が正常範囲の上限であったため、被告は、専門病院への紹介を提案したが、原告は、これを受け容れなかった。

右二回の再診料の点数を一〇倍して、その三割を計算すると、七四一円となる。しかし、被告は、原告から四二〇円しか受領しなかったので、三二一円の不足となる。

(4) 平成八年一一月二六日処方分

① 初診料 二五〇

② 膣洗浄 四二

③ 超音波断層撮影法 五〇〇

④ 診療情報提供(紹介状)二二〇

⑤ 外用薬投与 四六

(薬剤一三+薬剤情報提供加算五+処方二六+調剤二の合計)

以上合計一〇五八

初診料を算定したのは、前回の受診から一か月以上経過し、前回の治療は終了したと認めたためである。

同日、被告は、原告から紹介状を書いてほしいと言われたので、紹介状作成のため、超音波検査を再度実施し、腫瘤を再確認した。被告は、卵巣腫瘤の精密検査を依頼する旨の紹介状を作成し、血液検査の結果を同封して原告に交付した(甲一一)。

(二)  右請求のうち、(1)⑦及び⑧は誤りであった。すなわち、正しい投薬関係は次のとおりであり、癌検診による受診の場合には、初診料は請求できないことを被告は、後日知った。

ツムラ温清飲 一八点×一四日分=二五二点

コタロー黄連解毒湯 一〇点×一四日分=一四〇点

よって、平成八年一〇月一日処方分の正しい保険点数は一九九七点で、被告が受領すべき診療報酬は一万九九七〇円となる。患者の自己負担分はその三割に相当する五九九一円となる。被告は、原告から同日九〇五〇円を受領したから、結局三〇五九円を余分に受領したことになるので、右金額が原告に返還すべき不当利得分である。

4  原告の主張

(一)  子宮癌、乳癌及び大腸癌の検診のためには、少なくとも三回(乳癌と子宮癌の検診のために一回、大腸癌の検体の提出のために一回、検査結果を確認するために一回)の受診が必要であり、平成八年度の新宿区と検診実施医療機関との間の癌検診委託契約中には、そのための初診料及び再診料が含まれている(甲三七)から、癌検診の受診に当たり、初診料及び再診料を請求することは二重請求となり、許されない。被告は、新宿区から癌検診を受託するに当たり、新宿区からその旨の説明を受け、初診料及び再診料を請求できないことを知っていたにもかかわらず、原告に対し、これらを請求したものであり、故意による不正請求以外の何物でもない。

(二)  平成八年一〇月一日処方分について

被告主張の⑤ないし⑦は行われていない。

漢方薬を投与したとの被告の主張は、全くの虚偽であり、架空請求そのものである。

①、②については、原告は、一〇日程前の同年九月一九日に東京都健康づくり推進センターにおいて、同一内容の血液検査を受けている(甲九)。被告が血液検査を実施する前にその目的を原告にきちんと説明し、原告の同意を求めていれば、原告としてはこのような重複した検査を受けずに済んだのである。

③のうち、CA一九―九についても、被告から説明を受けておらず、原告は、同意していない。原告の同意を得ずになされた検査の費用を原告に請求することは許されない。

(三)  平成八年一〇月一一日処方分について

同日、原告は、検査の結果が出ているか否かを確認するために被告に架電したにすぎない。被告は、これを捉えて時間外電話再診料を請求しているが、不正請求以外の何物でもない。

(四)  平成八年一〇月二二日処方分について

同日、原告は、大腸癌の検体を提出し、併せて検査の結果を聞くために受診したのであり、再診料及び外来管理加算を請求することは不正請求である。

(五)  平成八年一一月二六日処方分について

同日、原告は、大腸癌検診の結果を確認するために受診したのであるから、初診料を請求することは許されない。

被告主張の②、③は行われていない。再度超音波検査を実施したとの被告の主張は、写真がないことから明らかなとおり、全くの虚偽であり、架空請求そのものである。

④については、原告が紹介状の作成を被告に依頼した事実はない。

⑤については、トローチの投与を受けたことは事実であるが、被告は、領収証(甲二)を発行した後であったので、「この中でやっておくからいいわ」と述べた。

三  争点に対する判断

1  平成八年一〇月一日の処方

(一)  被告主張の⑤ないし⑦が行われた否かについて

乙七、九、一〇及び被告本人尋問の結果中には、これらを実施した旨の記載及び供述があるが、原告はこれを否定していること(甲五、原告本人)、膣洗浄の目的についての被告の主張は一貫していない(当初は器具や診察台の清潔のためと主張していたが、後に原告は帯下が多かったからであると変更している)こと、投薬に関する診療録(乙七)の記載は鉛筆書きである上、×印で消されていること及び投薬に関する被告の主張はそのつど変遷していることに照らすと、膣洗浄及び投薬は、実施されなかったと認められ、冒頭掲記の各証拠は採用できない。

(二)  CA一二五以外の血液検査について

確かに、甲五、八、九及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、一〇日程前の平成八年九月一九日、東京都健康づくり推進センターにおいて、抹消血液一般検査及び生化学検査を実施したことが認められ、被告が血液検査の目的について詳細に説明をしておれば、原告も被告に対して右受検の事実を申告して、重複する検査をしないで済んだかもしれないが、血液検査の必要が一応認められたこと、原告も採血の時点では右受検の事実を被告に申告しなかったことに照らせば、右検査実施の費用を原告に請求することが許されないとまではいえない。

次に、CA一九―九については、証拠(乙一六、一七、一九、二〇)によれば、腫瘍マーカーは、癌の補助診断法としての有効性が承認されていること、臨床では複数のマーカーを組み合せて利用することにより正診率を高める工夫がなされていることが認められ、本件においてCA一二五と併用したことにはそれなりの合理性を肯定することができる。よって、仮にこの点に関する被告の説明が不十分であったとしても、右検査実施の費用を原告に請求することができる。

2  平成八年一〇月一一日の処方

証拠(甲五、原告本人)によれば、原告は、被告に対し、同日午前中に検査の結果が出たかどうかを問い合わせるために二回架電したが、被告は、多忙を理由に電話に出ず、一二時ころ、三回目の電話にようやく出て、検査の結果を伝え、詳しく説明するために来院を促したことが認められる。

被告は、これを時間外の電話再診であると主張するが、原告にしてみれば、検査の結果が出たかどうかを電話で問い合わせたにすぎず、これをもって時間外再診料を請求することは健全な常識に反し、著しく不当をいわざるを得ない。

3  平成八年一〇月二二日の処方

証拠(甲五、乙九、原告本人及び被告本人)によれば、原告は、同日、大腸癌の検体の提出及び検査の結果の説明を受けるために受診し、被告から検査の結果は異常がない旨の説明を受けたこと、しかるに、被告は、腫瘍マーカーの数値が正常範囲の上限であることから専門病院で精密検査を受けることを勧めたが、原告はこれを受け容れなかったことが認められる。

証拠(甲三七ないし四〇)によれば、子宮癌、乳癌及び大腸癌の検診のためには、少なくとも三回(乳癌と子宮癌の検診のために一回、大腸癌の検体の提出のために一回、検査結果を確認するために一回)の受診が必要であり、平成八年度の新宿区と検診実施医療機関との間の癌検診委託契約中にはそのための初診料及び再診料が含まれていることが認められるから、被告が二回目の診療について再診料を請求することは許されない。

さらに、被告は、外来管理を加算しているが、その内容は不明であり、著しく不当な請求というべきである。

4  平成八年一一月二六日の処方

(一)  同日、原告は、大腸癌の検診の結果を聞くために受診したこと(三回目のそれ)が明らかであり、前記の理由により、初診料を請求することは許されない。

(二)  被告主張の②、③が行われたか否かについて

膣洗浄については、前述のとおり

超音波検査の実施については、乙七、九、一〇、一八及び被告本人尋問の結果中にはこれを実施した旨の記載及び供述があるが、原告はこれを否定していること、(甲五、原告本人)、被告の主張によれば、同日超音波検査を再度実施した理由は、原告の求めにより、紹介状を作成するためであり、前回の検査から二か月近く経過していたので、再度病状を確認するためであったこと(したがって、むしろ記録化の必要は高いはずである)、超音波断層撮影の結果は直ちに写真として記録化することができ、被告も同年一〇月一日施行分についてはこれをしている(乙二)のに、同年一一月二六日分については写真が存在しないこと及び診療録(乙七)には、その旨の記載があるものの、かっこ書きされており、後から書き加えられた疑いがあることに照らすと、実施されなかったと認められ、冒頭掲記の各証拠は採用できない。

(三)  ④について

被告は、原告から紹介状の作成を依頼されたと主張するが、これに沿う乙七、一〇、一八及び被告本人尋問の結果は、甲五、原告本人尋問の結果及び原告は、前回の受診の際、被告から専門病院に紹介することを提案されたのに、これを受け容れなかったことに照らしたやすく信用できない。そして、血液検査の結果に照らしても、精密検査を受ける必要性があったとは言えず(現に、被告自身が紹介状の中で「良性と思われる」と記載している(甲一一の一))、紹介状を出す必要性について疑問がある上、被告は、原告に対し、紹介状は有料であることを告知していないことに照らすと、紹介状の作成料を請求することは著しく不当な請求と認める。

(四)  ⑤について

原告は、サービスであると主張するが、投薬の事実に争いがない以上、この主張は採用しがたい。

5  被告が平成八年一〇月一日の処方について初診料を請求したこと及び被告自身これが誤りであったことが認めていることは争いがないが、これが故意であったか否かについて検討する。

子宮癌、乳癌及び大腸癌の検診のためには、少なくとも三回の受診が必要であり、平成八年度の新宿区と検診実施医療機関との間の癌検診委託契約中には、そのための初診料及び再診料が含まれていることは前記のとおりであり、被告は、新宿区から癌検診を受託するに当たり新宿区からその旨の説明を受けていることは被告の自認するところである。そして、被告は、平成九年九月二五日付けの東京新聞の記事(甲一四)を見て、癌検診に当たり初診料を請求したことが誤りであると気づいたと弁解するが、右記事は初診料については一切触れておらず、被告の弁解は不自然なものであることにかんがみると、被告には故意があつたと推認される。

6 以上によれば、被告が原告に対してした診療報酬請求中、平成八年一〇月一日処方分については⑤ないし⑧の合計一四八九点、同月一一日処方分については一三五点、同月二二日処方分については一一二点及び同年一一月二六日処方分については①ないし④の合計一〇一二点総計二七四八点、金額にして二万七四八〇円、そのうち、原告の自己負担分は三割に相当する八二四四円は不正請求ないし著しく不当な請求と認められる。

そして、被告の請求中には架空請求が含まれていること、被告のした行為は、罪の意識が薄いとはいえ、歴とした犯罪行為であり、医療に対する信頼を揺るがすあってはならない行為であること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、慰藉料の額は三〇万円が相当と認める。

本件事案の内容に照らし、弁護士費用は一〇万円が相当と認める。

7  よって、原告の請求は主文第一項に掲げた限度で理由があるから、右の限度で認容する。

(裁判官髙柳輝雄)

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